うるさい文字列

『ライトジーンの遺産』というSF小説にこんな一節がある。

いろいろな番組が流されている。視聴者参加のバラエティから、ソープオペラ、宗教番組などなど。もちろんニュース専門局もある。おれはニュース以外はほとんど観ない。楽しみは、本棚に並んでいる活字から得る。本はうるさくなくていい。

おれの好きな文章だったが、最近この小説を読み返してそうでもなくなったことに気づいた。好きじゃなくなったというより、共感できなくなったというほうが正しい。
なぜなら、扇状的だったり誰かへの中傷を含むような文字列の場合は活字でさえうるさいし、文字通り目障りだから。

この小説が出版された1997年なら、より共感できたことだろう。当時の主要なメディアはテレビだからだ。テレビは主に音と映像で情報を伝達するので、文字列はあまり目立たず、必然的に目が不快になることも少ない。
映像単体でも目障りになることはあるかもしれないが、それはポルノやグロなど極端な場合に限る気がする。基本的には音とセットになって凶器となりうる。

1997年に対して現在の主要メディアはネット(に接続されているコンピュータ)だ。そこでは動画や音声などなんでもありだが、やりとりされる情報の形態はまだ文字列の占める割合が多いように思う。
ネットに繋げば一日に数回は確実に不快な文字列が目に入る1。CSSや文字修飾など見た目だけの問題ではない。表現の仕方によってはすさまじいまでのノイズになる。それこそ心身に支障をきたすレベルに2

理想はそもそもネットを使わない、というかメディア全般に触れないというものだが、まあ無理だろう。なにせそれらには有用な情報も漂っているからだ。そうした情報を知っているかどうかで生死が左右されるほどに。
ここで、触れた情報が自分にとって無害か有害かを選別する必要がでてくるわけだが、その際に無意識下であろうが脳は必ずすべての言葉を認識している。ノイズはその脆弱性を突いてくる。

だから、共感できなくなった。

よく考えたら文字列が静かだった時期って歴史的にはかなり限定されるのではないだろうか。具体的にはラジオ登場以降からインターネット黎明期までの約80年間ぽっち。
目障りな文章を記述した石版や書物なんていくらでもあったと思われる。上の80年間の時期にも存在しただろう。ラジオやテレビと比べたら目立たなかっただけで。

そういえば、同じ作者で匂いメディアを題材にした短編があったな。


  1. そうじゃない人間がいたら教えて欲しい。皮肉じゃなく本気で羨ましく思う。 ↩︎

  2. 「嫌悪感を掻き立てること」そのものを目的とした芸術作品とかなら話は別だが、たいていの場合そうではないだろう。 ↩︎