文系人間が使う「構造」と、理系人間が使う「構造」

ニコニコ大百科で神林長平の項目の掲示板見てたら、興味深い話題があったので引用します。文系人間と理系人間の、「構造」という言葉の使い方の違いについてです。

35 : ななしのよっしん :2012/08/10(金) 18:30:02 ID: Z4xd1U3T4B
どの作品の文庫版の解説だったか忘れたんだが、

「文系のSF作家である我々には神林氏がどういった意味で『構造』という言葉を用いているのか、
その時は分からなかったが、理系のSF作家である彼にとって『構造』とは
確固たる実体を持った存在に対して使う言葉だったのだ」

みたいな事が書いてあって逆に驚いた覚えがある。
自分も理系のはしくれなので、「金属の結晶『構造』」、「機械の『構造』」みたいな使い方は当然するけど、
(神林先生もこういう意味で使っていたんだろう)
文系の人が自分とは違う意味で(抽象的な概念に対して)
「構造」という言葉を使っているとは知らなかった。

36 : ななしのよっしん :2012/08/25(土) 02:04:38 ID: mzO21eL94o
>>35
プログラマでもCだと構造体ってあるし、概念としては分かりやすいよね。
一体文型の人間ってどういう意味で構造って使っているんだろう。

雪風から入った人間だが、膚の下は感動したな。
雪風の所にも書いたが膚の下は立ち読みで読破した。

37 : ななしのよっしん :2012/09/02(日) 16:22:10 ID: LbujeMzvZA
>>36

一体文型の人間ってどういう意味で構造って使っているんだろう。

経済学を学んだ人間の私見だけど、
「一定以上の規模の集団が、その自由意思とは無関係に構成員に影響を与える仕組み」
って感じかなあ。

例えば「失業者の増加は構造的な問題だ」という場合、つまりこの問題は失業者一人一人の怠惰や
努力不足ではなく、社会の枠組みに原因があるというニュアンスを発しているわけで。

文系の人間の方が「構造」って言葉を多用していると思う。
社会問題を何でもかんでも個人の責任にしてたら終着点は根性論になるから。

42 : 225 :2013/04/11(木) 23:20:59 ID: gW6f5T+7gc
でも、どちらの『構造』も、何らかの外的要因による『入力』を受けて、特定の法則に基づく一定の『出力』を発する点は同じっぽそうだな。

引用元の掲示板では、この話題はこれで終わっていますが、少し考えてみましょうか。

文系人間の立場から語らせてもらうと、>>37さんが言っていることはほんとの話で、文系人間はまさしく「一定以上の規模の集団が、その自由意志とは無関係に構成員に影響を与える仕組み」のことを「構造」と言い表します。

(ちなみに、>>37さんの「社会問題を何でもかんでも個人の責任にしてたら終着点は根性論になる」というのも本当で、こうした「『個人の問題』とされているものは、実は個人の努力ではどうすることもできない『社会の問題』なのではないか?」と考察することを、社会学用語で「社会学的想像力」と言います。社会学部では必ず学習するはずの概念なので、このことを知らない社会学部生or学部出身者の方は、ちょっと危機感持ったほうがいいです。)

で、理系人間が使う「構造」は、「確固たる実体に対して使う言葉」のようですね。

ここら辺で、「そもそも『構造』って何よ?」ってな話になるわけですよ。 そういう時は辞書にたよっちまいましょう。 なになに、wikiによると「構造(こうぞう、英:structure)とは、ひとつのものを作りあげている部分部分の組み合わせかた。ひとつの全体を構成する諸要素同士の、対立・矛盾・依存など関係の総称。複雑なものごとの部分部分や要素要素の配置や関係。」なんですって。

一応、「structure」の語源も調べときましょう。「構造」なんて言葉、どう見ても西洋語由来の翻訳語っぽいじゃないですか。 どれどれ、weblioのハイパー英語辞書によれば、 「ster-:広げることを表す。語幹structを持つ語の由来として、積み上げること、組み立てること。 struct:積み上げることを表すラテン語struere、印欧語根ster-から。 -ure:次の意を表すラテン語系の名刺語尾 1動作、過程、存在 2動作の結果」 のようです(関係なさそうな部分を勝手に省いた引用にしてます)。

大雑把にまとめたら、「構造」とは「何らかの要素が集まってできたモノ」と捉えていいっぽいですね。

でもこれって、文系人間が使う「構造」と理系人間が使う「構造」の両方に当てはまりそうじゃないですか?「社会」は「人々が集まってできたモノ」なわけですし、「金属」は「分子が集まってできたモノ」、「機械」は「金属が集まってできたモノ」なのですから。

「構造」の語源から導かれる、こうした共通項の抽出結果は、>>42さんの言う「何らかの外的要因による『入力』を受けて、特定の法則に基づく一定の『出力』を発する点」とは違う形になりましたが(僕はそれ、どっちかと言えば「入出力装置」だと思います)(2020/08/15追記:今なら「関数」と簡潔に言い表す)、どちらの「構造」も根本的には同じものである、と言えそうです。

「じゃあなんで文系と理系でここまで認識がずれるのよ?」という話に戻るわけですが、ここにきてようやく、ある考えが閃きました。「文系も理系も、言葉の使い方があまり正しくない」のだと。

つまり、文系人間が使う「構造」は厳密に言えば「社会構造」のことで、理系人間が使う「構造」は厳密に言えば「化学構造」なんです。

それぞれの人間が普段想定する「構造」の種類が、少し食い違っているだけなのです。

長文書いといて、なんだこのオチ。